転売非難をパーキンソンの凡俗法則
自転車置き場の議論で考えてみよう。
転売は世間では非難される行為ですよね。
テレビやネットでも大型家電量販店で中国人が福袋を大量購入とか、
スターバックスの福袋買占めなんかも話題となりました。
わたしの仕入れは基本的には表立ってお得だとして
販売されている商品を買うことはありません。
ですが、福袋なんかは稼ぎやすいものも非常に多いので
「仕入れたものをヤフオクやメルカリなどで売って何がわるい。
転売だって立派な商売だ。」
っていう人もいるかもしれませんが、世間はあまり良く思っていない。
なぜ世間は転売を非難するのか、
じゃあどうやって仕入れをすれば理解を得られるのか。
パーキンソンの凡俗法則 自転車置き場の議論を使って
ちょっと考えてみましょう。
パーキンソンの凡俗法則 自転車置き場の議論とは?
「組織は些細な物事に対して、不釣り合いなほど重点を置く」
この法則は、シリル・ノースコート・パーキンソンによる、経営の風刺書『パーキンソンの法則』[1] の中で出されたものである。パーキンソンはこの法則を説明するたとえ話として、委員会が原子力発電所と自転車置き場の建設について審議する様子を比較している。
原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。強固な意見を持っている人が、情報が不十分だと思われないように一般人を押さえ込むことすらある。このため審議は「粛々と」進むことになる。
wikipediaから引用しました。
多くの人は自分がわからないことで議論はできなくて、
自分の知っていることだけ議論することができる。
当たり前と思われるかもしれませんが、自分に知識がないことについて
議論するのは難しいことですよね。
わたしもこの場合耳を傾けるだけになってしまう。
これを転売に当てはめてみましょう。
転売を自転車置き場の議論に当てはめてみる。
誰の目にも見えて、誰でも買うことができる商品を仕入れて、
販売するということは転売と言われてしまうでしょう。
だって誰でもできる行為だから。
するかしないかは別であっても、一連の流れを真似する事が
容易なために議論させてしまうことになります。
でも仕入れる対象を見つけることは一般人にはできないじゃないか。
と思われる人もいるかもしれませんが、それは別。
手順さえわかればほとんどの人が再現できるものは
非難される転売となってしまうのでしょう。
例えばエクアドルでバナナをコンテナで数十トン仕入れて販売する。
これは容易にはできないですよね。
多くの人がこれを仕入れる流れを実現することができない。
だから考えることすらない。転売とはならない。
非難されない転売とは・・・
一般の多くの人が再現できない方法で、
一般の多くの人が仕入れることができないものを販売する。
これになると思います。
中国からの商品の仕入れなんかも昔は難しかったのですが、
今や、個人でも仕入れることができるし、
大量に仕入れしないといけない訳でもありません。1個から買える。
このように一般的に購入が可能になってくると、呼び方も
中国輸入から、中国転売と言われてしまう。
転売を表立ったものにして欲しくはない。
一般の人が理解できないだけで、転売が悪いものではないんだって
話では全く無いことは理解して欲しい。
悪い転売もあるし、転売してる本人もわかっているはず。
お金を稼ぐことに美学を求めるのは必要の無いことかもしれないけど、
「それ言う必要ある??」
っていう一般の人から見るとグレーな
転売手順をおおっぴらにしないほうがいいとは思う。
もちろん一般の人からみればグレーに思われるだけで、
オフホワイトでもなく、
しっかりホワイトな転売だったとしても。
またバナナの話で例えてしまうけれど、どこかの企業が、
「エクアドルのバナナ生産者から、大量購入することで1房二束三文で
仕入れたものが298円で売れます」
みたいな事は言わないじゃないですか。
企業がネット上で仕入れマニュアルを販売はしないですよね。
だから仕入れの部分っていうのは非常にデリケートで、
表に出す部分じゃないと思っているのです。
わたしとしては・・・
転売と非難されたくない人はいっそのこと、起業するのはどうでしょうか。
これは中々一般の人には真似の出来ないことです。
そのうえで同じ仕入れをしてみて下さい。
その時はきっと転売ではなく仕入れと理解してもらえると思います。